いつまで英語から逃げてるの? 英語の多動力New Version 君の未来を変える英語のはなし 堀江貴文著 読書感想

いつまで英語から逃げてるの?

堀江貴文
堀江貴文

短期間で英語を身につけたいのなら、勉強を始める前に知っておくことがある。さあ、君の未来を変える英語のはなしをしよう。

堀江貴文著『いつまで英語から逃げてるの? 英語の多動力 New Version 君の未来を変える英語のはなし』は、英語学習の重要性とその効果的な習得方法について、非常に刺激的かつ実践的なモチベーションの保ち方を提示している。

この読書感想では、英語を学び始めた私が、本書を通じて得た重要な気づきとなったポイントを引用しつつ、英語学習への決意を述べたい。

なお、本記事で引用していない考え方や、実際に英語を活用して人生を切り開いている7人のインタビューなど、掲載しきれない内容に関しては、ぜひとも本記事をきっかけにして書籍を手にされたい。

英語学習の重要性を認識するために

堀江氏が本書で強調しているのは、英語学習は「実践で学ぶべきもの」であるという視点である。堀江氏は『なぜあなたは英語が喋れないのか。それは、英語を喋っていないからだ』と述べている。

この言葉は、英語を学ぶことに対して過度に構えがちな私にとって大きな気づきであった。これまでは「英語を完璧にマスターしなければならない」と考えてしまい、参考書をひも解いてWould, Couldなどと、ご丁寧にお勉強してしまう道のりの遠さを思い、辞書みたいに分厚い文法書を何冊も並べて学習へのハードルは爆上げ、気が遠くなる想いにさせられているものである。

これは英語を遠ざけて大人になってしまった大方の英語が使えない日本人において、英語学習の序盤ではありがちな感覚であるように思う。しかし、堀江氏のこの言葉は、英語はあくまでコミュニケーションのための手段であり、完璧さを追い求める必要はないということに気づきを与えてくれる。重要なのは、そのツールをどのように活用するかである。文法的に絶対間違えないことは二の次、あるいは意図が通じればどうでもいいとさえ思えてくる。

堀江氏は述べている。『本当に大切なのは、高度な英語力ではない。人間の中身だ。拙い英語でも伝えようとする行動力のほうだ。』

また、私にとっては英語学習は概して、世界で活躍するために英語が必須であるという事実を受け入れるところからがスタートであるように思う。スタートラインに立ってみることがすなわち、英語から逃げないこと、とも解釈できる。結果的に今の年齢まで英語を避けてきた、あるいは今全く喋ることを怠ってきた自分にとって、本書をなして発破をかけるつもりで読破した。

英語を駆使し世界で活躍する7名の方々のインタービューには感銘を受けた。それを通じて、本書を手にすることは、非常に強い語学学習に対する決意への応援メッセージであり、これからの未来を考えるうえで英語は避けられないスキルであることを勇気をもって改めて強く認識するものである。特にビジネスやテクノロジー分野で英語が共通言語として機能している現実を目の当たりにする昨今、それを日常的に使いこなすことが自己成長に直結することは間違いない。

英語学習に対する多動力的アプローチ。誰かに伝えておく

本書のタイトルにもある「多動力」というコンセプトは、堀江氏の別の著書でも取り上げられているが、英語学習においてもこの考え方を基礎にできる。ひとつのあり方に固執せず、複数のスキルや分野に多角的に取り組むことが成功の鍵であるように思う。英語学習においても「完璧に勉強する」ことよりも「使いながら学ぶ」ことが重要であるということを本書は強調している。

堀江氏のもとには、「コミュニケーション力を高めるにはどうすればよいのか」という質問がよく来る。彼は場数が全てと答える。PCやスマートフォン、インターネットの普及によって、いまや場数はみずから生み出せる。多くの人が公平に「学び」の機会をみずから生み出せる時代になったのだ、と。

夢は恥ずかしがらずに言葉にしよう

彼は「英語を使う機会がないから、英語を勉強しない。使う機会が出てきたら、英語を学ぼうと考える人は多い。これは極めてナンセンスな考え方だ。」と延べ、ある会社の上司が、英語の仕事を任せようとしたとき、英語を勉強しているらしい社員と、そんな話はいっさい聞かない社員がいたとしたら、どちらに声をかけるだろう、と例を出している。

多くの人は仕事を通して英語力が上がったと言う。このように、仕事で英語を使う機会をゲットするには、なんらかの形で英語学習をしていることはもちろん、それを周囲に発信しておくこともまた重要なのだ、と。

本文より一部抜粋~

勉強はこっそりするもの?英語ができるようになってから、周囲にアピールしていく?

それがもちろん功を奏し、カッコいいイメージを作り上げることがあるかもしれない。

だが、こと仕事で英語力を獲得するには、まだそれほど英語に自信がなくてもいいから、早い段階から勉強していることを誰かに伝えておくほうがいい。

あらゆる業種でグローバル化が広がり、僕らの仕事も刻一刻と進化している。
この本を読んでいるそばから英語を使うチャンスが巡ってくるかもしれないのだ。
そんな時代に勉強していることを恥ずかしがっている場合ではない。

本書には上記の通りあるが、そうはいっても、である。周囲に全面的に展開していくのは私にはプレッシャーが強すぎて疲れると思うので、宣言については、自分の今のステージを勘案して、できる範囲でいいように思う。

業務以外の会話や雑談があまりないような職場で英語学習宣言は違和感がある。
本書の趣旨とは異なるが、能ある鷹は爪を隠すで、隠しながらやっていても、英語の勉強が進んでいけば仕事上で爪を出す機会がやってくるに違いない。

また、できる範囲ということでいえば、高校時代の同級生にTOEIC頑張る宣言をした。そういう意味で本書を読む前に本書に準拠した多動力を発揮していたとも言える。

ワクワクする勉強だけでいい

堀江貴文
堀江貴文

人生を変えるのはかんたんだ。現状に縛られず、初めの一歩を踏み出せばいい。前進を妨げているのは「能力」でも「経験」でも「リスク」でもない。そのように言い訳をつくり、いつまでも行動できない自分自身だ。

なぜ英語を学ぶのか?

本文より一部抜粋。

英語を学びたいという人になぜ英語が話せるようになりたいのかを聞くと、ほとんどの人はなんとなくの理由を言う。具体的なイメージがない。

コミュニケーションの本質は「シェア」だ。
シェアしたいことがないのなら、コミュニケーションを取る必要がない。

英語しか話せない人であれば、その人にこれを伝えたい、教えたい、というコミュニケーションのネタがあるなら、それがどういう英語で伝わるのかを調べたり、先生に聞いたりできる。
逆もまたしかり。どうにか理解しようと行動する。

「相手と何を話したいのか?」


目標に具体性があればあるほど、英語は学びやすくなる。目に見える目標を持つ者はケタ違いのスピードで英語を吸収していく。

私は、具体的に英語話者と話すというイメージは、できていなかった。
どちらかというと堀江氏のいうように具体的なイメージがない部類に入るだろう。

では何のために、英語を学ぶのか。

具体的には、英語で読みたい小説のシリーズがある。英語でその小説を読んだ後、何がしたいかを考えると、結局のところ、ネイティブスピーカーとその小説の内容についてシェアしたい、というところまで追求できる。正直言って、自分の今のレベルから考えると、もう少し手前の、目の前の目標に合致した具体性があれば、なおいいだろう。そもそも本書を手にした理由のひとつはスモールステップとしての目標の定め方が曖昧なところを何とかしたい、そんなところにある。

本書では読む英語よりも、話す英語に重点が置かれていることは明確である。どちらにしても、英語におけるコミュニケーションのネタを今から積み重ねることを重視したい。

「お勉強」と「学び」の違い。没頭せよ

本文より一部要約し抜粋。


自分で目標を決め、アクセルを踏むためには「学び」が不可欠だ。

僕(堀江氏)が言う「学び」とは没頭のことだ。脇目も振らずに夢中になり、がむしゃらに取り組める体験の全てが「学び」だと僕は思っている。

学校教育に準じた「お勉強」は、あくまで受動的な行為である。
要は、「与えられたものをこなす」作業である。

「学び」を楽しんでいる人は違う。
没頭している人にとっては、正解が見つからないことも、みずから動かなければ取り組むべき課題が見つからないことも、没頭する対象がある限り全ては「楽しい」ことなのだ。
だから、没頭する人は「トライアル・アンド・エラー(trial and error)」を繰り返し、成長していく。

没頭は人を決して立ち止まらせない。
常に人を前へ前へと押し出し、新しい体験をつかませようとする。
イノベーションを生み出すのは「お勉強」ではなく「学び」だ。
夢中になっているからこそ、人は努力や苦労の過程さえ楽しむことができる。

この没頭する力こそが、人間の力を最大限に発揮する重要な要素なのだ。

ようは英語に没頭さえできれば、苦しい勉強ではなくて、楽しい学びとなる。堀江氏は、時間ばかり使ってどんな勉強をすればいいか模索しているのなら、すぐにハマれるものを見つけるべきだ、と言っている。

堀江氏は具体的に、ハマれるきっかけの発想について言及している。没頭の入り口はなんでもいい。好きなこと、興味の持てることから入るのが一番だ。「好き」に忠実になることは、没頭する力を解放するために重要なポイントである。この「好き」は、大げさなものでなくてもかまわない。「ちょっと好き」程度でもいい。

好きな芸能人に直接会いたい、たとえば語学番組のプロデューサーになって番組出演を依頼する、などの例を通して、無理、ではなくて、ゲーム感覚で挑戦すること自体が可能か不可能か、自分の好奇心を大切にして様々に情報に触れて動き回っているうちに、内なる声が活性化してきて、モチベーションがあがってくるような「好き」を見つけたら、それを実現するために英語に没頭すれば良いのだ、と展開している。

私がこれを読んで思うのは、英語学習が必要な話せない日本人は、何となくの理由しかもっていないわけではなく、荒唐無稽ともいえる何ともいえない言語化できないような願望ぐらいはあるように思う。

私も含めて、そんなものではないか。

好きな芸能人に会う、というのは内なる声に違いない。
堀江氏は本書で具体的な芸能人の名前を使っているが、自分自身にだけは正直に日記でも何でも良いのでなぜ英語を使えるようになりたいか、ゲーム感覚で可能性を模索する時間は大切であるように思った。

また、学習のステージが上がってくれば、より強靱で具体的な感覚や目標が研ぎ澄まされていくに違いない。

他人に流されるな、自分を見ろ

本書では、多くの人たちが英語を学ぶ際に、英語の先生に言われるがままにプランを考えずに実行しているケースが多い、との指摘をしている。先生が自分を理想の地へ誘導してくれるという受動的な考え方、いわば「言いなりパターン」になっている。堀江氏は、英語を学ぶにあたって、それでは成果が出にくいと考えている。

理想的な英語の勉強法なんてものはなく、勉強もビジネスもトライアル・アンド・エラーなのだと思っている。ビジネスで成功するためには、思いつく限りのことを次々にやってみるしかない。

ビジネスの考え方を英語学習に応用することは堀江氏の特徴だが、ようは英語の勉強もやり方やセンスではなくて、トライアル・アンド・エラーをどれだけ続けるか、という考え方になってくる。自分で立てた計画に基づき、自分に一番しっくり来るものを見つけよう、と。しっくり来なくても、その間も英語に触れているのでマイナスにはならない。

この言質には一定の理がある。英語学習者はどうして英語をやりたいのか千差万別なのは間違いない。絶対このルートが一番効率が良い、なんていうことはあり得ない。いきなり会話したい人もいれば、私のように英文の小説を読みたい人もいる。

堀江氏は常日頃、「先生の言うことは信じるな」と言っている。では、誰を信じればいいのか。

自分だ。
自分が立てた計画こそ、全てだ。

本文より抜粋~

目標がないまま大きいことを目指しても、自分がどこまで到達しているかが分からない。そのため、仮想敵のようなライバルを持つべきだ。

中略

社会が目まぐるしい速さで変化する今、数年後に社会情勢がどう変わっているかは誰にも予測不能だ。だから僕は1~2年先の目標しか立てない

まずは先を走る者を短期間で追い抜こう。

これは結構ガツンときた。英語学習を続けて、やがては到達したいレベルはやはり英語を自由に使いこなせるレベルであるのは間違いない。本書の「インタビュー2」にも掲載されているが、英語を習得するには、あと1760時間かかる、とある。それを1~2年でやるとしたら、月に何時間やればいいのか、週にあてはめるとどんな感じか、では今日何時間やればいいのか、逆算できる。

堀江氏のいうように仮想敵を想像するなら、それぐらいのタイトなスケジュールでそれをサイボーグのように実行する人間は脅威である。逆に言うと自分がサイボーグのようにそれを実行する姿を投影するなら目の前に常に自分のゴーストが走るような感覚だ。

仮想敵であるからには完全に他人と比較する必要はない。サイボーグのように実行する自分自身を想像して仮想敵としようと、私は決意するものである。

まとめ:英語学習への新たな決意

堀江貴文氏の『いつまで英語から逃げてるの? 英語の多動力 New Version 君の未来を変える英語のはなし』を読んで、私は英語学習に対する考え方をより一層多角的に捉えることができた。

英語を習得することを目標とするのではなく、まずは「使いながら学ぶ」という実践的なアプローチを取り入れ、失敗を恐れずに英語を使い続けることが大切だということに気づいた。

トライアル・アンド・エラーの連続が英語を習得するという事である。

英語を習得した、という何処かの到達点を目指すのではない。英語を今から日常的に使いはじめて、英語を駆使する人生にするのである。
またそのように歩むことが英語を習得する、ということになろう。

一番ヒントになったのは、スマホを英語モードにする、という項である。

フルタイムで働いていて、現時点で英語を使う仕事でないならば、残された余暇で英語学習をしていくしかないが、平日働きながらがんばって座学で1日1時間いけるかどうか、というのが多くの学習者の現実であるように思う。

スマホを英語モードにする、という発想は、私に新しい生活スタイルを提案した。
要するに自分が朝起きて夜寝るまでのアクティブな時間を全て英語に切り替えればいいのでは?と考えた。
スマホもPCも英語環境に切り替えて、ニュースも英語で聞いて、動画も英語で観るのである。
なんなら、趣味のPCゲームも設定言語を英語でプレイしてみる。

スマホを英語モードにしても今のところ何も困っていない。困ったときにだけ日本語に切り替えればいい。

今の実力では英語のニュースを聞いてもさっぱり分からないので、ちょっと難しい、というレベルまで格下げしてもいい。そこは知恵と工夫が大切だ。

日本語で読んだニュースを英語の原文で読みなおしてみる、など、今の実力からでも、できることはある。
また、理解できなくて悔しくても、本書にあるとおり、自分がバカであることを知っている人は強いのだ。

理解できなくて悔しいけれども、その英語が解るようになればワクワクする。

そうやってミッションをひとつ又一つとクリアしていく。小さな成功体験を重ねて、自信をつける。
英語学習で手に入るものは、英語が話せる自分だけではない。

自分自身の自信と尊厳を勝ち取る戦いでもある。

未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ。
Do not be afraid of the future, do not attach to the past, and just live the present.

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