「死ぬんじゃねーぞ!!」 いじめられている君はゼッタイ悪くない を読んで
しょこたん(@shoko55mmts)はいつも明るくて、元気で、光の玉のような存在。いじめられていた過去があるからこそ、語れる体験談がある。きっと本書にある、「さなぎの時間」がしょこたんを大成させたのだと思う。
しょこたんブログは明るい遺書だった
しょこたんブログはかれこれ15年近くフォローしている。本人が明るくて、いつも元気で、ときには笑える内容だったり。何より関わる人達への感謝が絶えない。それがまさか暗黒の時代を土台とした『明るい遺書』だったとは。終盤を読むうちに、思わずハッとした。
誰か苦しんでいる人の「隣る人」 になる
本書を読んで一番の気づきは、いじめに限らず、誰か苦しんでいる人の「隣る人」になってあげること。いじめをなくすことは決して容易ではない。それは小さな戦争ともいわれるように、個人的には人間の本性だと考えている。だが、いじめは絶対に許されない。自分に何ができるのか、考えさせられる。そっと寄り添うことは今すぐにできる努力だ。
いじめられている君にこそ勇気を
しょこたんは夢をたくさん実現させて、素敵な人だな、いつもあんなに元気な人になりたいな、と思わせてくれる人。本書は、そんなしょこたんからは想像できない陰湿な内容から始まるので、少し取っ付きにくい。でも、最後まで読んだらホッコリする。大逆転の勝利劇だ。いじめられている君は、勇気をもらえるはずだ。
死にたいと思ったときに、気持ちをそらす
しょこたんが自分自身を最大に自己実現しているから、説得力がある。そう、未来はきっと輝いている。自分自身も辛かったことはあるけど、今思えば貴重な体験だった。希望は必ずある。その証拠がしょこたん自身の実在だ。
3人のいじめられた体験の対談
本書では、3人と対話した体験談も掲載されている。他人事だと思ったら何も残らない。むろん、いじめについて真剣に考えている読者なら、きっと胸に刺さるものがあるに違いない。自分自身に置き換えて、読み合わせてほしい。
生き方が多様化している今、学校に行かないことが即、逃げ道とは思われない。本当に死ぬぐらいだったら、もちろん逃げた方がいいし、ほかに道はいくらでもある。
スクールカースト
スクールカーストという考え方は正直、本書を読むまで概念がなかった。いじめを実行する当事者でもなければ、はっきりいじめの対象になったこともない。いじめ?というか馬鹿にされたことならあるが。その程度の経験しかない。
私は、小学校中学校と成績が良かったから、嫌われてはいたが、うまく立ち回っていた。それと、いじめ云々ではなく、勉強の邪魔をする奴を許さなかった。いじめっ子とか不良に嫌われて、相手にしなかったし、深入りしてくる奴もいなかった。
いじめられていた女子はいた。肥満体型で、小学校入学当初から中学卒業まで、ずっと一人の女子。同じクラスになった中学2年、3年と、席替えのとき、その女子の隣になることがとても多かった。私は自分から女子に勉強や用事以外のことで話しかけることはなかったが、無視をすることもなかった。
今思うと、ほかの男子と隣になっていじめられるより、私が隣になることで、いじめの連鎖がそこで止まっていたいたような気がした。そして、本書を読んで、もう一歩勇気を出して、隣る人になれればよかった。
誰誰の呪い、とかいって鬼ごっこをする男子に相手してしまったこともある。間接的な形でいじめに加担したのだ。その罪は忘れない。
その女子は、卒業してから一度だけ、目撃したことがある。そこは大学病院。車椅子に乗って、母親らしき人物と佇んていた。
何かしてあげられることがあったのか。何をすべきだったのかはわからない。大人になった今なら色々な支援ができる。同じ苦しみを分かち合うように、そっと寄り添う。それが難しいが、本書を読んで、今苦しんでいる君がいるならば、僕もアンテナを張ってそっと寄り添うように心がけていきたい。
最後に、中川翔子さん、素敵な本をありがとう。 苦しんでいる子供を見かけたら、この本をそっとプレゼントします。
「死ぬんじゃねーぞ!!」 いじめられている君はゼッタイ悪くない
中川 翔子 (著)